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80年代の後半になると、スロヴェニアには現代的な一般市民社会が急激に出来上がり、その構想を練った人達は、一部は作家協会や青年組織、またその機関紙ムラディーナなど既存の組織に地位を得、他の人々は
月刊誌ノヴァ・レヴィヤなど、新しい組織を結成していきました。同じ頃、政権を握る共産党内の闘争は、公には以前より目立たなくなってはいましたが、
改革派がまたもや勢力を増し、党の支部に当たる社会主義同盟などに座を占めるようになりました。彼らは硬直した自分達の党に対して過激な処方箋を出すようになりました。
その後、政権から退却するに至り、発生途上の野党は新たな「政治同盟」や「政治運動」を結成していきました。文化的闘争は公で声高々で、指導的立場に立ったのはまたしても作家達であした。その結果は、スロヴェニア人の間での政治的及び民族意識の急激な高揚、そして、ユーゴスラヴィア体制における社会生活に対する不満の声の増加です。 1988年の夏には、3人のムラディーナ紙ジャーナリストと、彼らに軍部情報を伝えた1人の下士官に対する軍事裁判により、緊張は更に高まることになりました。 思うように成らないスロヴェニアを脅す目的で行われた裁判は、結果的にマイナス効果をもたらしました。大々的なデモは武力に訴えるものではなく、更に強固な意思表示の現れであり、 本当の民主主義、複数政党制、自由選挙を要求する声に、独立国スロヴェニアを求める声も重なっていきました。
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